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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)7267号 判決

原告 株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役 奥田正司

右訴訟代理人弁護士 米田実

辻武司

松川正典

四宮章夫

田中等

田積司

米田秀美

坂口彰洋

西村義智

上甲悌二

被告 菅原正博

右訴訟代理人弁護士 佐藤禎

澤田憲治

主文

一  被告は原告に対し、六八一四万六九四二円並びに内金五五四〇万円に対する平成五年三月一六日から支払済みまで年一四パーセントの割合による金員及び内金一〇二万八〇九五円に対する同年六月二三日から支払済みまで年一四パーセントの割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

一  前提事実

1  原告が都市銀行であり、株式会社エフビーオー総研(以下「エフビーオー総研」という。)がファッション産業における情報サービス及びコンサルティング業務等を業とする株式会社であることは当事者間に争いがない。

2  ≪証拠省略≫、証人瀬座正夫及び中山俊明の各証言、被告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

(一) 原告とエフビーオー総研は、昭和五四年五月七日、銀行取引契約(以下「本件銀行取引契約」という。)を締結し、原告はエフビーオー総研に対し、右銀行取引契約に基づき、左記のとおり金員を貸付けた(以下、左記(1)の貸付けを「貸付け(1)」、(2)の貸付けを「貸付け(2)」、(3)の貸付けを「貸付け(3)」、(4)の貸付けを「貸付け(4)」という。)。右銀行取引契約においては、エフビーオー総研が債務の一部でも履行を遅滞したときは、原告の請求により右銀行取引契約に基づく一切の債務の期限の利益を失い、直ちに債務を弁済するものとされている。

(1)貸付日     平成二年五月二二日

貸付方法    証書貸付け

元金      一〇〇〇万円

元金最終弁済期 平成五年四月三〇日

元金弁済方法  平成二年六月三〇日から平成五年三月三一日まで毎月末日限り一五万円、同年四月三〇日限り四九〇万円の分割払。

利息      年七・九〇パーセント(ただし、平成二年五月二二日に長期貸出金利と同率の連動金利、平成三年七月二日に原告の定める標準金利と同率の連動金利と各改定された。年三六五日の日割計算。)

利息弁済方法  借入日に同日から平成二年六月三〇日までの利息を支払い、以後毎月末日に一か月分(ただし、最終利払日には元金の最終弁済期までの分)を前払する。

損害金     年一四パーセント

(年三六五日の日割計算)

(2)貸付日   平成三年四月一一日

貸付方法    手形貸付け

元金      四一〇〇万円

元金最終弁済期 平成三年一〇月一一日

損害金     年一四パーセント

(年三六五日の日割計算)

(3)貸付日   平成三年七月三一日

貸付方法    証書貸付け

元金      四〇〇〇万円

元金最終弁済期 平成四年七月三一日

元金弁済方法  平成三年八月三一日から平成四年六月三〇日まで毎月末日限り二〇万円、同年七月三一日限り三七八〇万円の分割払。

利息      年八・一七五パーセント(ただし、平成三年七月三一日に原告の定める標準金利と同率の連動金利と改定された。年三六五日の日割計算。)

利息弁済方法  借入日に同日から平成三年八月三一日までの利息を支払い、以後毎月末日に一か月分(ただし、最終利払日には元金の最終弁済期までの分)を前払する。

損害金     年一四パーセント

(年三六五日の日割計算)

(4)貸付日   平成三年八月二六日

貸付方法    証書貸付け

元金      一二六〇万円

元金最終弁済期 平成四年八月二四日

元金弁済方法  平成三年九月二四日から平成四年七月二四日まで毎月二四日限り二〇万円、同年八月二四日限り一〇四〇万円の分割払。

利息      年八・一七五パーセント(ただし、平成三年八月二六日に原告の定める標準金利と同率の連動金利と改定された。連動金利適用・年三六五日の日割計算)

利息弁済方法  借入日に同日から平成三年九月二四日までの利息を支払い、以後毎月二四日に一か月分(ただし、最終利払日には元金の最終弁済期までの分)を前払する。

損害金     年一四パーセント

(年三六五日の日割計算)

(二) 昭和五八年四月三〇日、被告は原告に対し、エフビーオー総研が原告に対して負担する銀行取引契約上の一切の債務について、保証限度及び保証期間を定めず、連帯保証した(以下「本件連帯保証契約」という。)。

二  争点

被告の本件連帯保証契約における保証責任は、信義則上否定又は制限されるか。

第三争点に対する判断

一  ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

1  被告は経済学博士の学位を有し、経営学の中のマーケッティング論等、流通・広告等の分野を専攻する学者である。

エフビーオー総研は、ファッション小売業者、バイヤー、二次メーカー、素材メーカー等に対し、情報提供や実務指導等のコンサルタント業務を行う会社である。

2  被告は、昭和三九年四月から昭和四三年一月まで甲南大学経営学部の専任講師をしていたが、当時同大学に在学していた廣崎隆史(以下「廣崎」という。)が昭和四八年に株式会社ファッションバイイングオフィス(現エフビーオー総研)を設立した際、同人に頼まれて同社の取締役会長に就任し、平成五年六月一一日に辞任するまでその地位にあった。

また、被告は、エフビーオー総研に四九〇万円出資し、その株式を九八〇〇株持っており、五〇〇万円の貸金もある。

3  被告は、エフビーオー総研の経営には参画しておらず、同社の経理内容を聞かされることもなく、エフビーオー総研の経営資金の借入れも、特に被告に相談することなく行われていたが、昭和五八年四月に国立岡山大学教授に就任するまで、一、二か月に一度位エフビーオー総研に顔を出し、マーケッティング理論等についてのアドバイスをしており、昭和五二年からは月二〇万円の役員報酬の支給も受けていた。また、エフビーオー総研は一時期東京にも事務所を置いていたが、被告は通産省の繊維行政の仕事で定期的に上京していたため、たまに東京事務所にも様子を見に行っていた。

岡山大学に勤めるようになってから、被告はエフビーオー総研から報酬の支給を受けなくなったが、被告の妻菅原裕子が顧問料の名目で月二〇万円の支給を受けるようになった。そして、被告は、同社に顔を出すことは少なくなったが、前記のようなアドバイスは続けていた。

また、被告の子菅原裕司も平成四年まで嘱託としてエフビーオー総研から給与を受けており、また、被告は、昭和四五年三月から勤めていた関西学院大学のゼミの卒業生をエフビーオー総研に紹介して入社させており、同社の従業員の半数位は被告の教え子であった。

4  本件銀行取引契約当時から、廣崎はその連帯保証人となっていたが、被告はエフビーオー総研の個別の借入れについて連帯保証をするに留っていたところ、原告が、被告をエフビーオー総研の理論面を担当する中心人物と目し、被告には資産もあったことから、被告を本件銀行取引契約の連帯保証人とするよう求めてきたため、被告の経理を担当する瀬座正夫は被告に、その都度していた連帯保証契約の手続を簡略にするためと説明して、被告に本件連帯保証契約を締結させた。

5  エフビーオー総研の原告からの借入れは、同社の運転資金とすることを目的とするものであった。そして、エフビーオー総研の負債は、昭和五七年八月当時一八〇〇万円位、本件連帯保証契約の締結された昭和五八年四月当時一七〇〇万円から三〇〇〇万円位で、そのうち原告からの借入れが一〇〇〇万円位、昭和五八年八月当時三二〇〇万円位、昭和六二年は五〇〇〇万に届くかどうかだったのが、昭和六三年ころ原告からの借入れが一億円位になり、その後原告からの借入れは同額程度で推移していたが、エフビーオー総研は、平成三年一〇月から右借入金の返済を滞るようになり、平成五年五月三一日に一回目の不渡りを出し、その後業務を停止している。

なお、原告のエフビーオー総研に対する新規の貸付けは、平成二年八月の一五〇〇万円が最後であり、貸付け(1)ないし(4)は、いずれも昭和六三年ころの貸付けの何度目かの切替えとしてなされたものである。

6  被告は、エフビーオー総研の、昭和五九年三月及び平成元年五月の中小企業信用金融金庫からの各借入れ等、原告以外からの借入れについても保証をしており、また、昭和六三年から平成元年にかけていずれも大阪府中小企業信用保証協会の保証付きでなされた原告からの一四〇〇ないし一五〇〇万円の借入れと五〇〇万円の借入れについての同協会に対するエフビーオー総研の各求償債務の保証もしている。

7  原告が被告にエフビーオー総研の負債を文書で通知したのは、平成四年一二月一二日到達の催告書(≪証拠省略≫)が初めてであるが、それまでに原告の担当者が口頭で右負債内容の説明はしている。

二  貸付け(1)ないし(4)は、本件連帯保証契約締結後、七ないし八年経過してなされたものであり、しかも、本件連帯保証契約締結当時の原告のエフビーオー総研に対する貸付けは一〇〇〇万円位であったのが、昭和六三年ころには一億円に増加しているところ、これらの貸付けは、いずれも被告の知らないうちになされており、被告に原告のエフビーオー総研に対する貸付けの内容が正式に通知されたのは、その最後の貸付けがなされてから一年以上が経過した後の平成四年一二月一二日であることなどの点からすれば、被告の本件連帯保証契約における保証責任が信義則上否定又は制限される余地は十分にあり得るものといえる。

しかしながら、エフビーオー総研の負債は、昭和五七年八月当時一八〇〇万円位であったのが、昭和五八年四月当時一七〇〇万円から三〇〇〇万円位、昭和六二年には五〇〇〇万に届く位というように次第に増加していったものであって、右貸付け金額の増加は、必ずしも本件連帯保証契約締結時に予期し得なかった特異なものとまでいうことはできないし、少なくとも、昭和六三年ころ一億円位に達したエフビーオー総研の原告からの借入れは、何度かの切替えを経て同額程度で推移した後、三年ほど経過した平成三年一〇月に至り初めて返済の遅滞が生じているのであり、エフビーオー総研が一回目の不渡りを出したのは、さらに一年半ほど経過した平成五年五月三一日であること、しかも、原告は平成二年八月の一五〇〇万円を最後に、エフビーオー総研に対する新規の貸付けはしておらず、貸付け(1)ないし(4)も、昭和六三年ころの貸付けの何度目かの切替えに過ぎないことからすれば、原告のエフビーオー総研に対する貸付けが、同社の返済能力を無視した無理な貸付けであったと見ることはできない。

他方、被告は、エフビーオー総研の取締役会長という同社の経理状態を知り得る地位にあったというだけでなく、同社の業務の前提となるべきマーケッティング理論等のアドバイザー役を果たしてきているのであり、月二〇万円の役員報酬の支給も受けていたことがあり、さらには、妻や子も同社から給与を受けていたほか、同社の従業員も半数位は被告の教え子であったというのであるから、このようなエフビーオー総研との緊密な関係の下で、実際にも、同社の経理状態を容易に熟知し得る立場にあったものということができる。

のみならず、被告は、エフビーオー総研に出資して株式を有しており、貸金もあり、さらには、原告以外からの借入れについても保証をしているなど、エフビーオー総研の経理状態に深い利害関係を有しているのであるから、その経理状態には強い関心を持っていてしかるべきであって、被告がこれを知らないまま、本件連帯保証契約の解約等の措置をとらず、多大の連帯債務を負担するに至ったのは、ひとえに被告が漫然と放置した結果というべきであって、原告が貸付額の増加を被告に通知しなかったことを責めることはできない。しかも、被告は、同社の原告からの借入れが一億円位に達した後にも、同社の大阪府信用保証協会に対する求償債務の保証をしているのであるから、このことはなおさらというべきである。

なお、被告は、エフビーオー総研の経理担当者である瀬座正夫から、連帯保証契約の手続を簡略にするためと説明されて本件連帯保証契約を締結しているのであるが、本件連帯保証契約の保証約定書(≪証拠省略≫)には、被告が、エフビーオー総研が本件銀行取引契約に基づき原告に対して現在及び将来負担する一切の債務について連帯保証する旨が明記されているのであるから、右の事情は、被告の本件連帯保証契約における保証責任を左右するものではない。

以上の諸点からすれば、被告の本件連帯保証契約における保証責任は、信義則上否定又は制限されるものではないというべきである。

三  ≪証拠省略≫、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告のエフビーオー総研に対する右銀行取引契約に基づく貸付け金債権の残元金は左記のとおり合計五六四二万八〇九五円である。

(一) 貸付け(1) 六五〇万円

(二) 貸付け(2) 一〇二万八〇九五円

(三) 貸付け(3) 三八一五万円

(四) 貸付け(4) 一〇七五万円(ただし、平成五年六月二二日、被告の原告に対する定期預金債権三六八九万一七六九円と対等額で相殺後の残元金。)

また、右貸付金の未収利息は左記のとおり合計六二万九四二二円である。

(一) 貸付け(1) 一六万六三四六円

(二) 貸付け(3) 三六万一三一五円

(三) 貸付け(4) 一〇万一七六一円

2  エフビーオー総研は、貸付け(1)について、原告の平成四年一二月九日到達の請求により期限の利益を喪失し、貸付(2)ないし(4)については、いずれも元金最終弁済期が到来している。

そして、貸付け(1)、(3)、(4)の平成五年三月一五日現在の貸付け(2)の平成五年六月二二日現在の、各確定遅延損害金は左記のとおり合計一一〇八万九四二五円である。

(一) 貸付け(1) 二八万一四五四円

(二) 貸付け(2) 六六二万六九九八円

(三) 貸付け(3) 三三三万二九九六円

(四) 貸付け(4) 八四万七九七七円

(裁判官 川添利賢)

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